TSM - English

英語を学ぶ、学んだら還元する、楽しい毎日。

落合陽一的な世界を迎えるための教育①

なんか最近いろいろ考えてることが多くて、ただまとまりのないブログになりそうだなぁというのは思っているんですが、ブログをつらつらと書いてみたいと思います。
この職業をしていると先生と呼ばれることがもちろん多いわけですが先生というのは非常に何か偉いものではなくてただ単に生徒より先に生まれただけというふうに考えています。
生徒は先生から色々な知識を得るわけですが、 先生は自分の持っているノウハウやテクニック考え方というのを生徒に伝授するわけです。
つまり先生がそこまで進んできた道というのを僕で言えば一回りも下の生徒たちがその時点でもうすでに手に入れるということになるわけです。
生徒がその年齢で先生と同じ立場まで一気に引き上げられる。

 生徒はその年齢でそこをスタートにまたさらなる高みを目指すことができるというのは非常に良いことだと思っています。
ただし問題点があって非常に先生というものの世界というのはクローズドな世界になっていて先生同士のノウハウの伝達というのがきっと世の中よりも少ないのではないかと思っております。
先生というソースから知識を得るこのことによって生徒は能力を高める。その生徒がまたさらに下の世代に知識の伝達を行うことによって、またさらに高みのスタートを切ることのできる世代を育てる、これが教育だと思っております。
先生であるとか教育というのはもう少しオープンソース的な側面を持っていいのではないかと思うのですが非常にクローズドな世界を生活しております。
また非常にドメスティックな面というのでしょうか、そういう面もあり先生が何か生徒を抱え込んで自分の思い通りにしようとしているのではないかと思う面も非常によく感じられるのがこの業界です。
ぼくは学校では英語を専門に教えているのですが、何かアイロニックというか矛盾を抱えたというかそういった面が英語の先生には多くて、すごい皮膚感覚ですが個人的には英語の先生というのは非常にドメスティックな面を持っている人が多いと思っております。
また画一的な教育、先生にとってコントローラブルな生徒の育成、こういうことが未だに教育の現場にははびこっているのではないかと思います。
この前近代的なというかクローズドな教育の現場で何か面白い人物を育てるというのはなかなか難しくて何か限界みたいなものを感じることがたまにあります。
でも自分の使命というのはそういったものを全てを覆して落合陽一さんの言葉を借りるとエモーショナルな、エモい人間を育成するということになります。
均質的な教育を行う現場の中で、少しでもこのエモい人間を育成できないか、というのがこの10年ぐらいの大きなテーマだったのではないかというふうに思っているのですが、最近始めた教育上の取り組みが1つのきっかけになるのではないかというふうに思っています。
特別に何か大きなことをやっているというわけではないですが生徒に英語のスピーチを行わせる。
それをTED Talksのようなショーに仕立て上げる。
その中でTED Talksのようにエモーショナルな空間を作る、生徒の可能性、生徒の興味関心を興味関心にとどまらせずに大きな渦の中に巻き込ませたい、こういうような思いがあります。
この取り組みはまだまだ始めて数年なのでただのよくある英語スピーチ大会と変わらない部分は大いにありますが、 取り組みの成熟度が上がってくるともう少し何か拓けるのではないかというふうに思っております。
その中でもポツポツと落合陽一的な人間が育ってくれればまた未踏事業に参加するような理系生徒が育てばいいなというように考えています。
と、色々なことをここまで書きましたが僕のテーマはエモーショナルな人間をどうやって均質を目指す教育空間の中から生み出すか、ということにあるわけです。風穴をあける、というようなことでしょうか。
AIなどの科学技術の発展によって消える職業の中に僕のような高校教員というのが入っています。
それを大手を振って迎えられるようにそこまでの間しっかりとエモーショナルな人間を育てるというのは教育の役割の1つではないでしょうか。
そうなった時に僕自身はワクワクする未来を生活しているでしょうし、高校教員ではない新たなフィールドで僕は働いてワクワクしているのではないかというふうに考えています。

what i do now.

When I teach students English, I think it's important to make them happy.
And I think why I teach students English.
Do I want them to be smart?
Do I want them to get high scores on exams?
I don't think these things.
I always want them to be happy.
And I want them to make the future world better.
So I help them make their dreams come true.
I teach them English and some knowledge to make the future world better.
In the future, English teacher will Not be needed in Japan.
When the world is like that, Is it very exciting world isn't it?
I want the world to be like that.
So I teach students some knowledge that is important in the future world, and I teach students How we think, How we should think, and What the world think and what we should think for the world and for the future world.
There are no answers in the textbooks.
The textbooks have some basic knowledge, And this knowledge helps us think what our future world is like.
Some students don't like textbooks and some classes at school.
But these students will not be greater people because they don't have important knowledge to make the world happier.
Of course, I know, all of the knowledge in the textbooks are not important for us.
But these are basic ideas for future world and these are basic ideas for what students will study at their universities in the future.
So I teach students some ideas with textbooks.
I want the world more exciting than now.
And the world wll be made more exciting by my students, and they have some ideas to make the world exciting and happy.

集中力より散漫な注意力

今日は試験明けの土曜日ですが

3年生の講座はお休み

 

池袋での大学フェアと渋谷への出張の2本立て

 

今は電車で池袋に向かっております

 

パラパラと雑誌をめくっていると

脳神経外科医の菅原道仁さんの記事が。

 

なんでも手術の際には没頭するような深い集中力はミスの原因、

それよりも患者や周囲の状況に対して良い意味で気が散る=気を配る必要があるのだと。

そうすることでミスが減るとおっしゃっていました

 

なるほど

気が散る=気を配る=気がつく、なのか

 

散漫な注意力が大切

 

そしてまた、うまくいかなかったことからの方がたくさんのことを学べるのだともおっしゃっていました

 

全てに通じることですね

 

さて、電車は読書やら確認やらが捗ります

もう一仕事できる!

上智大学に来ております

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上智大学に来ております

ソフィアタワーに

クメール、アンコールワットの特集展示があり

親近感が湧きました

 

TEAP利用入試についてお話を伺う予定なのですが

ジョン・ニッセル杯が気になって気になって仕方ない

 

文法ができない、とはなんなのだろう。

今年度最後の講座のプリントに書いたメッセージを残そうと思う

 

2年生講座の最後に

「文法」というと、文法「問題」に気を取られ、「読むための文法」「書くための文法」をあまり考えない生徒が多いことがこれまで気にかかって仕方ありませんでした。実際の生活で(漢字が)読めない、(作文が)書けない、(文章を)読めても理解できない、ということはあっても、現代日本語の文法4択問題というのを出題されることはありません。英語も同様です。まさか読む際のポイントが70を超える(もちろんこれはまだ途中です)とは思いませんでしたが、「文法問題」において必要なポイントとの違いが分かったのではないでしょうか。もちろん、いちいち英文を読む際にこのポイントを思い起こすことはないでしょうが、無意識に使う「文法」というものがどういったものかわかってもらう、読む際の無意識を一旦意識化するということは重要です。これらのポイントを無意識に自由自在に使える状態が「文法ができる」ということではないでしょうか。

 来年度のPass Lineでは読むための文法、書くための文法を定着させ、真正面から英文を読み、解く力をつけていきます。鮮やかで艶やかなテクニックはありませんが、英語力をつけ、ついでに大学に受かる実力をつけてもらいます。来年度も(大学合格なんてアホみたいなことをゴールだと思わない)高い向上心を持つ生徒たちと講座で会えることを楽しみにしています。定期考査がんばってね♪