「老子」から教養、背景知識
代ゼミの西きょうじ先生の著書が改定されて「西きょうじ 図解英文読解講義の実況中継」(語学春秋社)となって、
この本にお世話になった身としては懐かしく、
また改めて触れてみたいと思って一気に読んでみました
この本にお世話になったのは受験直前の1月…え?もう10年前くらい?( ꒪⌓꒪)
受験前に本当に基礎から復習してみたいと思って
手にとったのでした。
頭に入っていたけれどもバラバラにしまっていた知識が整理整頓されていった
そんな記憶があります
で、今もう一度読んでみて
ハッと思ったことを1つ
p182の「自然」の語源についての話の冒頭
「ところで、「自然」という日本語はどういう意味だか考えたことあるかい。これは実はもともと中国から来た言葉なんだ。この言葉が始めに見られるのは「老子」だといわれている。「老子」くらいしってるよね。」
の部分。
当時は何も気にしていなかったけれど
今の自分の立場で読むと…
「老子」がわからない高校生の多いこと多いこと( ꒪⌓꒪)笑
いや、馬鹿にしてるとかそんなじゃなくて
なんかもう社会の分業化がこれまで進んでると
受験勉強に関しても分化がすごいなと
僕は「老子」について長々語れるほど知識があるわけではなく
あぁ中国の、思想家で、道教の、とざっくり把握している程度ですが
まぁ老子って聞いたこと、読んだことあるなぁ
となるわけです。
しかし、
もう文系だの理系だのが分化、分業を変に意識して「自分は文系だから〜、理系だから〜」と言って
色々と文系理系問わず知っておくべき知識が自分にとってどれだけ大事(受験に大事とかそういうレベルではなく)か気づきにくいのかなぁ…と。
前々から、こういうことは勉強ではなく、「教養」だよと言っているのですが
うまく伝わらないし
なんかこう色々なものに追われている(追われている気になっている)人には、目先の知識(みたいな何か)に四苦八苦なのですよね
それどこじゃねーわ!みたいな( ꒪⌓꒪)笑
読書しないといけませんよね
そして僕らも読書と勉強を続けて
変化する世界についてコンタクトを取り続けなくてはならないのだなぁ…と。
英語、国語、数学、理科、社会といったものも
いわゆる「受験勉強」としか捉えられないと何も残らないですが
「教養」と捉えられると愉しくなるのではないかと思うのです
そう考えると
入試に出た英文という範囲ではあるけれども
理系文系ジャンル問わず色々な文章に触れられるのは(自分にとって)プラスが多いなと思います
これからも色々なものに手を伸ばして行きたいと思います
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